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大竹伸朗いった

エッセーを読んだ時には、ピンと来てなかった「既にそこにあるもの」の意味がわかりすぎてしまった。あのSDGS具合は、江戸的であり、ものすごく日本的だと思った。扱う素材は、国を問わず様々なものを使用しているが、結局、日本に帰着しているように思えた。あのエイジングの表現は日本でしかない。てか、わかりすぎちゃった、なにがわかったのか、言葉にしたくないくらいに、わかっちゃった。それで少しつらくなっちゃったし、やっぱり何かを作りたくなった。会社とかとは別の場所で、作りたくなったし、そういう場所で生活したいと思った。
リヒターを見に行った時とは比べものならないくらいに、くらっている。

この展示、珍しいことにキャプションがほとんどなかった。それでもめちゃくちゃにわかった。言葉で理解するというより、言葉にできない部分で理解していた。だからむしろ、言葉がなくてよかった。
言葉を介さずして、感情が動いたり、コミュニケーションが取れるって、ほんとうに最高だし、神聖だし、快感だ、

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