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一昨日羽良多平吉のトークイベントに行き、昨日録画していたあたらしいテレビをみていい感じに影響を受けましたね。
羽良多さんは、本当に自分の仕事に誇りを持っていて感動しました。ビジュアルの前に言葉の人であるということがよくわかった。ラテン語の辞書を読んだりしていたそう。言語にも興味があるぽい。そしてばるぼらさんはじめ、あそこに登壇していたおじさんたちが本当にものしり仙人で、おしげもなく、説明なしに、私の知らない固有名詞でずっと会話しててよかった。
そういう知らん会話についていかなきゃーとなる感覚、久々。気持ち良すぎる。そんで今日は会社の先輩に誘われて校正教室に行ってきたんですが、座学でなにかを教えてもらうことの尊さというか、心地よさというか、わたしが今生活に求めているものはこれなのに( ; ; )、毎日なにをしているんだろうという気分になりました。
あたらしいテレビに関しては、やっぱり座談会がよくって、蓮見翔さすがすぎる(苦笑)という気分でずっと見てた。魚豊さんもずっとよかった。ただ、このド凡人23歳見習い編集者(仮)の私からすると、私のなかにはめちゃくちゃZ世代の自覚があるんですよね。自分のことを若いと思っている(同時にもうすぐで若くなくなるという感覚もある)し、若者の表現みたいなのが自分の近くにあると思っているし、Z世代的(2020年代的)なカルチャーとは、みたいなこともずっと考えてる。自分のことをZ世代と言われてもなんの憤りもないし、めちゃくちゃ自覚的に生きてる。まあ蓮見さんみたいに代表にされて意見を述べるみたいな場面はないので、全然違うというか、もっと深い厄介を彼は受けていると思うわけだけど。
魚豊さんが言っていた、「愛」とか「絆」とかが嘲笑の対象になっていて(どうせ意味ない、どうせ裏切られるという東アジア的精神性の顕在化)、私たちはそこ(愛や絆)に簡単にシンパシーを抱くことは難しくなっているから、遠回しにそういうことを言う(表現する)しかなくなっている。でも結局愛とか平和とか絆を表現したい、そういう主題はいつの時代も重要なわけで作る必要があるわけで。ストレートな表現が難しい今が厄介だと。これはあんまりわたしが自覚してなかったけど、超わかって面白かった。
あと、蓮見さんのコンプラへの価値観もおもしろくて、今コンプラ規制とされているものは、時代特有の枠組みでしかなくてなにかが狭まっている(制限されている)わけではない。ルールが増えているだけ。ルールの中では何をやってもいいわけだし、そこを掻い潜ることで、いろんな表現が生まれる。それをおじさんたちは「新しい」ともてはやす。別に新しくないのに。と。まさにダウがやっていることだと思った。
で、あの番組通して思ってのは、私はエンタメに感動してきた人生ではないし、エンタメを作る(携わる)人間でもないということ、これもずっとわかっていたことではあるけど、すごく思いましたね。福田さんと山﨑さんの対談を見てて、すごく腑に落ちた?映画界わからんけど、ふーんて思いました。
で、めちゃくちゃ話変わって、n回目のなんクリ話なんですけど、私あれをこないだボーイフレンド(小学校からずっと青学人間)に読んでもらって、感想をお互いはなしてめちゃくちゃ楽しかったんですよね。私と同じく44p~からの部分(河出文庫版)をよかったと言ってて、そこの話をずっとしていた。今の私たちの生活とのギャップと変わらなさと。で、アーベイン(田中康夫のいう「アーバン」のこと)カルチャーというか、アーベインカルチャー史、ちょっと調べたくなりました。アーベインとの時代別の向き合い方というか、時代ごとにアーベインとはどこを指すのかという東京の地名としてもそうだし。私は、実際小学生くらいからアーベイン的なものにひきつけられてきたんですよね。東京らしさのひとつの観点というか、地域文化でもあるし、思想史でもあり、サブカルチャーである、という。ちなみに二期スパンクスもたまらなくアーベインではありますが、あれの「場」を考えるとフランスだなとなり、東京アーベインとは別物だなと思ったりなどしました。
p.s 最近のトレンド「バレエコア」について持論があるひとがいたら話をしたいです
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