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自分の政治スタンスは明確に変わってきている。わたしは中学高校、そして大学と、基本的に左志向の教員たちの授業を受けてきて、そのみんなが魅力的で授業を聞くうちに、自然と左になったし、そもそもサブカルチャーという文化は左的な考え方と密接だし、とにかく左だった。態度としても、結構マジだったし、多少の右傾化の動きとか(2010年代後半とか)、集団的自衛権の件とか、共謀罪のときとか、ゼッタイダメって感じだった。ダメだと思いすぎて怒りのエネルギーのほぼ全てが政治に向かっていた時期もあった。誰かと話したり、SNSに書いたりすることはほぼなかったと思うが。多分。一番のこの傾向が強かったのは、受験期だったのも覚えている(2019年)。特になんでとか考えてないけど。そっから、いろんな人と出会ったり、いろんな考え方に出会う機会が増えて、それこそネトウヨ(もはや死語と化した、それはそれでかなしいなあ)と、ガチ保守の人たちの違いとか。福田和也という存在を知ったり……。で、まあ5年くらいかけて、政治に対してマジじゃなくなっていているのが今っていう感じなんですよね。それはなんなんだろう。自分が左的な考えであることを表明するのは、単純にダサいし(もちろん右でもダサくて、どちらかっぽさっていうのが個人的にちょっといやだ)、なんというか、向き合い方の話なんだけど。

で、今マジじゃなくなっていってるけど、関心は変わらずあって、というかむしろ今めちゃくちゃ関心がある。それはまさに参政党のせいなわけですが(苦笑)。で、参政党に関して、というか、排斥志向の考え方が、あまりにも目立つようになってきたことに関して、かつての自分だったら、怒りは頂点に達し、いてもたってもいられないような状態だった気がするのですが、今の自分はといえば、参院選たのしみすぎるぜっていうモードですね(苦笑)これで多くの人の怒りを買ってしまうことはよくわかりますし、わたしは今回も共産党に投票するのですが(当たり前に一番まともで頑張って欲しいというのもありつつ、現時点で絶対に第一政党にならないから)。なんというか、政治は結局民主主義とか言って、自分の手ではどうにもならない部分が多すぎて、そのどうにもならなさに、おもしろさがあるなあと思います。自分の一票でどうにかなりそうな雰囲気を出させられて、どうにもならないのがヤッバいなあという感じで。それで日本が終わっていくのもそれはそれで見ものだと思うし、そんな時代を生きれたら楽しいだろうなあと思います。戦争に突っ込んでいって空襲で自分が死んだとしてもね。

まあ排斥は絶対にダメで、戦争も絶対にダメですよ、個人的なスタンスとして。当たり前すぎる。当たり前すぎて狂いそうですが、こんなこと書かなきゃいけないことに。その時代に個人としてどう生きるかだなと思います。政治的な抵抗とかのほかに、もっと生活レベルで。

参院選みんなで楽しみましょう♩



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