147(7.4)

8時起床。

FSバイト。同期で、年齢が一個下の女の子に久しぶりに会った、かわいい。私の書いたベルシュカの閉店の記事がヤフトピに載った。別にお金もらえるわけでもないし、ふーんって感じ。上司は喜んでたので、それは嬉しい。14時退勤。


1505〜1820が授業。授業中に、読み途中だった三島由紀夫の潮騒を読了した。ハッピーエンドか、つまんないね。内容はとてもおもしろかったしワクワクドキドキしたよ。
授業終わってスタバで宗教哲学のレポートを書いて出した。アイスソイラテショートを飲みながら。
ゆうちゃんのライブに行く。渋谷LUSH。わたしはここで絶望を濃くする羽目になったので、あまり詳細に書く気にもならない。ひとりひとりのステージは、文句のつけようのないものだが、なにか観客と出演者が、存在しない現実(夢みたいな)を共有しているような気がして、それが私には見えなくて、ひどく無力だった。要はわたしは、それを共有するだけの感性を持ち合わせていないということ。心がイカれている。すごい刺激的なものや、すとんと理解できるものじゃないと、何も感じない。だから、彼女たちが作ったものは、彼女たち自身も信じてやまないし、観客も信じきって、そこに意味のある時間などを生み出しているけれど、それがわたしにとってはひどくナンセンスで、創作の無力を感じるだけだった。その作品と人間性では、空間を支配するほど覇気もなければ、美しさもなかった、何も感じない自分に腹がたった。簡単に言えば、逃げ出したかったが、知り合いが出演しているライブハウスから逃げ出すことはできない。わたしが地下の狭いライブハウスが嫌いな理由も、ほぼこれだし、毎晩、日本各所の地下でこれが行われていると想像するだけで戦慄する。とにかく居心地が悪かった。明らかに陰のオーラを纏っている自分は、ここにふさわしくないと思って、終演後早めに地上に出た。地上で待っていたのは案の定、希死念慮だった。246をふらふら歩き続けた。わたしは頭が悪くて無知だから、どうやっても死ねないのを知っている。早めに諦めて電車に乗る。気づけば眠っていて、起きたら、ニュートラルな心持ちだった。そんなものだ。

家につくと0時を回っている。エレ片を聴きながらぼーっとして、お風呂を出たあと、スーパーの4枚入りのロースハムを食べながらこれを書いている。みんなが寝静まったあとの暗いダイニングテーブルで。隣にはピカチュウがいる。

p.s. 今日も一日中「普通の恋」を聴き続けていたわけだが、その様子をストーリーにupしたら、全てが嘘のように思えてきた。わたしが普通の恋という曲に心酔していることや、この曲を聴きながらあらゆる空想を描いていることや、わたしがこの曲を聴いていること自体が、嘘なのでないかと錯覚するような気分になった。自分で自分を消費した感覚。ほんとに、インスタはオールフェイクだから、見るのもあげるのもやめます…作品と告知だけにする…
考えていることや、傾倒しているものなどは自分の脳内かつオフラインにとどめたい。豊かに生きるために。

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