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なんかボンディーに詳細ブログに書きますってかいちゃったから久しぶりにやってきたわけなんですけど、、、

z世代ユースカルチャー批評というか、談義をプライベートでやりたいだけなんですよね、、、いろんな人とガチで話したいというか。で、わたしは、それらを一括りにしてコピーをつけてメディアを通して伝えたい(それもやりたいけど)というよりは、そんな世の中で何を作ろうかなということを考えたい。

で、本題ですけど、わたしが企画会議や取材や数少ない友達との会話のなかで、べらべらしゃべっていることというのが、

2022、2023年は直視できるような状況じゃないので、みんな意識をどこか別の場所につれていくような表現(これが今のユースカルチャーの代表的な表現ということ)をしている。2010sは悲しみや鬱をわりかし顕在化させて、バッドに入っていく過程を直接表現したり、その感覚をむしろ楽しんでいたりしていた。ただ、もう状況はどんどんひどくなり、今の若者たちは、悲しいのは前提だけど、そんなところにいちゃなにもかわらんし、仕方ないから、イマジネーションでユートピアを目指そうよ、という感じ。

で、ツイートもしたけど、イマジネーションに身体感覚を付帯させるのがファッションで、今みんなY2Kを身に纏うのは、過去のコスプレをしているとも言える。昔のはっちゃけてた時代の人になりきる。身体から(脳の感覚までをも)ここではないどこかに持って行こうとしている。気がするんですーーーーーーー

そんなはなし、

あと、カルチャーあんま関係ないですけど、どうしてウェブメディアがつまんないか問題、一生 紙の雑誌がおもしろかったころには敵わないのはなぜか。雑誌のオルタナにはなれない理由。それはすべての記事のPVが見えちゃうからなんですよね。多分、考察ですけど。ウェブメディアの編集者は、企画たてるとき、通す時に、絶対過去の類似記事と比較するとおもうんです、で、この記事がこれだけ数字とれたから、これいけますっていうプレゼン。数字主体。それはそうしたくなくても、数字がどうしてもわかっちゃうっていうこと。

雑誌の場合、どの号が売れた、どの企画の反響がすごかったなどのざっくりとした評価はあるけど、記事ごとに数字なんてみえないじゃないですか。だから、企画をたてるとき、通す時に、数字があんまり関係なくて、見立て、直感頼りになりやすい。そうすると、編集会議の同席した人をどこまで興奮させられるかだし、どこまでそこでおもしろがってもらえるかっていう比較的感性重視になるから、柔軟でおもしろい企画をつくれるのだと思う。でも、都築さんは企画会議自体いらないっていっちゃうしね、結局編集者のパッションをどこまで削らないで、アウトプットまでもっていけるか、なるべく人が関わらない方がよい、ってことなのかな。まあこの辺はいろいろ言いたいことがあるけど、整理つかなくなってきた、。

クソ読みにくいウェブ記事を読みたいし、(行間つめつめ、死ぬほど長い、スクロールしてもおわんない)。雑誌も別に感性とか言いつつ、いまほぼおもしろくないし。TVのほうが面白い。TVは面白いと思う。月曜からよふかし、文化人類学すぎる。


あと、ドメスティックなカルチャーが生まれるには、って話で、これは、はちさんの話そのまま引用してるだけなんですけど、日本の独自のカルチャーが生まれるには、オフラインのみんなが集まる場所がないとはじまらない。これまで雑誌だったり、クラブカルチャーがその役割を果たしてきたわけですが。でも今はSNSがあるじゃないか。しかしながら、SNSだと、すぐに数字が見えちゃって、本当に人間がその人の魅力と、その人の表現を評価するきっかけにはなりにくい。本当に面白い人は、フォロワーを持っていないかもしれない、というかそういう人が必ずいる。彼らに出会って、公平に理解しあうためには、オフラインでコミュニケーションをとる必要があるし、オフラインで作品を見る必要がある。世間の評価とかを取っ払って、「私」が、「あなた」の作品をいいと思うから、一緒に何かをやろう、と誘うには、SNSでは足りない。日本は、数字とかではない、人柄とか人の空気感とかで、互いを認め合って、私対あなたの感性だけを信じてやってきた部分があるから、とにかく「場所」が必要って話をしてました、うまく言えなかった。すいません

そんで最後に、ファッションはまだまだ可能性しかないという話。うーんっていうか、今ファッションは更新できるのか?会議という本を読んでるんですけど、これめちゃめちゃおもしろくて、あきらかにファッションだけに言えた話ではないことがたくさん載ってる。でもこの本の外面がファッションすぎるし、それもなんか内輪感すごいし(笑)こういう装丁で、こういう編集だったら関係者しか読まないだろレベル。ファッションはいろんな領域を分断するものなので、もっと開けていかないと意味がない。せっかくの可能性を失わせまくっている。ファッションは衣食住のひとつで、生活に欠かせないもので、印象が軽いのに、すべて(サブカルチャー、ストリートカルチャー、ユースカルチャー、哲学、民俗学、オタク文化、CG、3Dモデリング、都市etc...)の入り口になるっていうヤバ手段だとおもうので、もっとわかりやすくさせていくほかないです。日本のファッションのクリエイションについても今なおトップレベルだと思うので、あとは業界の外への伝え方っていう感じがものすごくする。


この一週間くらい、こんなような話をいろんな場所でしてました。で、今日思ったのが、わたしって山下陽光の生まれ変わりなのでは?ということ(笑)

その場の会話だけ盛り上げて、アイデアと考えてることだけしゃべり倒して、実際に行動にうつすのはほんのわずか、という(そのわずかで偉業をなしとげるわけですが)。とは言え、20代の山下先生はギャンのギャンのギャンで、行動派の権化だったのでは?わたしも自転車暴走族やるか〜〜〜〜〜〜銀座までチャリ飛ばすか〜〜〜〜〜〜〜〜

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