343(勇気について)
betcover!!新譜『勇気』から考える、2020年代的表現のたたずまい
betcover!!は私がリアルタイムで唯一注目しているバンドである。その魅力といえば、“野郎性”にあると考えており、そこには、現代に存在することが難しい過剰なまでの“男性性”の押し出しがある。それがキモくならないのは、アティチュード・パフォーマンスとして完璧にやっているからではないかとおもっている。幻になったマチズモ、憧憬としてのマチズモ。リアリティがない。betcoverの曲の歌詞の内容が、あまりにも実生活から距離がある。関白宣言は、さだまさし(というか当時の日本人男性)がガチで考えていることみたいでグロいが、バーチャルセックスは、しぬほど暴力的だけど、ファンタジーとしての暴力という感じがする。とはいえ、柳瀬二郎にはどこか、マジかもと思わせる狂気があるところもポイントである。さらには、ヤクザのようなバンドメンバーの立ち姿、衣装などもそれを助長される。今の時代だからこそ、一周回ってマチズモをエモに変えている稀有なバンドである。
そんなbetcoverが今回出した新譜『勇気』は、前作「馬」を踏襲しつつも確実に進化した内容となっており、なによりもまずbetcover!!がまとう唯一無二のムードが強化されていることを感じた。
このムードというのは、以前柳瀬が、インタビューで語っていた下記を参照されたい。
「ムードっていうのは最近強く意識していて、これはエロの話とも近い気がします。(…)詩とか歌詞の意味っていう以上に、その曲を聴いたうえで何を感じるかが大事だと思っていて。それって歌詞と曲がハマらない限り生まれないものだと思うんですよ。「壁」についても、適当な言葉が並んでいるようだけど、何でもいいわけじゃなく、「これしかない!」っていうような言葉がハマる感覚があって。それがムードを形成していると思うんです。そんなふうに曲単位の小さなムードがあり、アルバムという大きなムードがあり、僕自身やバンドというさらに大きなムードがある、みたいな。(…)自分がやりたいのは音楽っていうよりもムードなんですよ。もともと僕は、小さい頃から映画監督になりたかった。絵を描くのも好きだったし、実は音楽なんて一番関係ないと思ってたんです。なぜかというと目に見えないから。ストーリーを伝える視覚的な力が弱い。それに、音楽は時間の流れとともに聴くものだけど、絵は(見れば)一発ですよね。映画も時間の流れとともに鑑賞するものだけど、その(視覚的な)一発がずっと続いているわけじゃないですか。音楽だと情報が少ない。映画は総合芸術で目も耳も使えるけど、音楽は耳しか使えない。すごく難しいな、どうすればいいんだろうと思って、今はずっとムードの研究をしています。」
https://rollingstonejapan.com/articles/detail/39139/3/1/1
私は、この“ムード”こそが、2020年代的な表現の象徴となっていくのではないかと考えている。
ここで、時代を10年巻き戻してみたい。個人的に(かなり個人的に)、2010年代は、大森靖子の時代だとおもっている。大森靖子の表現、それは、内蔵のぐろいところまでを、精巧に表現に落とし込む。一般的に言えば、人間の心の闇などと言えるかもしれないが、人間のどろどろとした感情の最初の部分をそのまま吐き出す。負の要素が強ければ強いほどエモさを助長させた。きっと、これは、大森靖子の表現だけに限らない話で、文芸の世界やSNSでも、悲しみや鬱を顕在化させて、バッドに入っていく過程を直接表現したり、その感覚をむしろ楽しんでいたりしていたような記憶がある。
ただ、2020年代に入り、コロナ禍を経て、状況はどんどんひどくなり、普通に考えたら将来に希望など見出せない世界に生きている。だからこそ今の若者たちは、悲しいのは前提だけど、そんなところにいちゃなにも変わらんし、しょうがないから、いったん現実とか置いておいて、イマジネーションでユートピアを目指そうよ、という感じがある。
ユートピアというのは、やや言い過ぎな感じもあるけれど、今は現実を直視できるような状況じゃないので、みんなの意識をどこか別の場所につれていくような表現をしているのではないか。そして、我々だってバッドに入ることもあるが(むしろ多い)、そこでくよくよするのではなく、ちゃんとバッドから抜け出すように努力して、気丈にふるまう、たいしたことはなかったかのように振る舞うことが今のアティチュードという気がする。地に足をつけようとするのではなく、むしろ地から足を離そうとしている傾向にある。これが軽さ、であり、フロウであり、ムードでもあると思う。実体よりもノリ。実体ばかり考えていたところでドライブしていかない、という2010年代的な反省による、結果論としてのノリ。ノリからはじまって、実体になっていく。つまりムードが先行する表現。これが2020年代表現のたたずまいだと思う。
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