159(7.18と19)
反革命宣言、文化防衛論を読みながら、こういうことね〜と。なるほどね〜と。腑に落ちている部分も多い。論理や文章の美しさゆえ、思想に共感せずとも引き込まれる節がある。最近、文化とは何かについて考えていたりしてたので、その点では確実に理解が深まっている。三島に傾倒してしまいそうだ、みたいな感覚はまるでないのだが、彼に対する興味は増大している。このまま菊と刀を読むのは間違い無いだろう。
5限、文化人類学概論、最後の授業。完璧な終わり。本当に素晴らしかった。4年弱大学にいて、最も感動し、最も興味深い授業だったと言っても過言では無い。
教授は前嵩西一馬。彼はこの授業で、文化人類学を主に言語学的な観点から、理論的な指導をほとんど行使せずに、実践(彼はそれをトレーニングと呼ぶ)のみを用いて私たちに伝えた。彼は毎回の授業で伝えたいことが明確にあるように見えた。ただ、その核心に直接触れることなく、補助線をひきながら数本の映像作品(ドキュメンタリー作品を中心にアニメーションや日本のバラエティなど)を見せながら、私たちに核心へたどり着かせようとしていた。時に、到達が難しい場合は、理論を用いて説明することもあったが、ひたすら実践を通して、誘導していた印象を持つ。毎回授業の終わりに、いくつかの問いを提示して、それをリアクションペーパーに書かせた。そうして授業が完成していった。
テストが終わると、彼は最後のメッセージを話し始めた。テストは、擬態語を我々がどのように文節化するかを測るためのものだったという。言葉において、意味と音は恣意的にくっついたものに過ぎないが、オノマトペは一致するケースである、この一致こそに文化の花が咲くのだと彼は述べた。
そのあとで、こう続けた。地球には46億年の歴史がある。その中で人類史はたった20万年である。さらに、文字を使い始めたのも3000年前。それまで人間は感性という本能で生きていた。教科書的な勉強を始め、知識を詰め込み、吐き出すだけの教育(学問)は、たかが200年の歴史である。素早く正解にたどり着くことを鍛えるのではなく、自らの感性を頼ることの方が重要である。感性には3万7000年の歴史がある、人間はずっとこれに頼って生きてきたのだから、もっと信頼するべきである。と。彼は膨大な知識を携えた上でこう最後に伝えたのだった。私はこれを聴いて、逆説的に知識の必要性を強く感じた。もちろん感性の尊重も救いでしかなかった。何もかも信じられない時期が続いていた(今もたまにそう)ので、このような助言は精神的支柱となりうる。
彼が大事にしてほしいと語る感性を試したのが最終テストであったと思うし、彼の授業は最後まで表現であり、創造的であると感じた。ここまで、ハイコンテクストな意思の疎通を授業を通して感じたことはこれまでなかったので、私は彼の最後の言葉を聞きながら、本当に感動し切っていた。その結果として、どのように授業が締められたかの記憶がない。最後のリアクションペーパーに感謝の気持ちを綴り、教室を後にした。
その後は、図書館で課題をやって、スタバでぼーっと文化人類学概論の余韻に浸って、帰宅。
前嵩西ロスすぎて、今、彼が2016年にsession22にゲストとして出た回をラジオクラウドで聴いている。言葉づかいがそのまんまで落ち着くし、丁寧だし、思慮深いし、大好きだ。ギャン。大好きなんかい!
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2022.07.26 23:42
2022.07.26 20:28