159(7.18と19)

18日のこと

13時起床。よく寝ました。
大学へ。
4限と5限を受ける。全然面白くない。期末直前なので出なきゃという気持ち。

このまま帰るのは勿体無さすぎたので、昨日ですけんさんと毛柴さんにお薦めしてもらった錦糸町のロジェという喫茶店にいく。フィリピンのひと?がお店を切り盛りしていて、同じくフィリピン人の客とずっと喋ってる。店内に飛び交う異国の言葉。一方で、店内の内装は日本のベーシックな喫茶店にほかならない。これもバグであると言って差し支えないが、フィリピン人のコミュニティとその店の雰囲気は違和感なく融合しあい、日本の古来の喫茶店を超える居心地の良さを生んでいた。外国人(アジア人?)特有の細かいことは気にしない精神と、堕落した客に支えられた喫茶店の雰囲気は、マッチしないはずがない。今までに感じたことのない超体験だった。
ロジェを出て錦糸町駅前のスタバで宗教哲学の課題をやって、帰宅。
自室でぼーっとして3時ごろ就寝。





19日のこと
8時起床。
FSバイト。10〜15
ほぼ誰とも話さず、退勤。
久しぶりに鈴蘭で煮干しラーメン食べて、大学へ。ラーメン美味しすぎて倒れそうだった。

そういえば、昨日から三島の文化防衛論を読んでいる。たまたまブックオフでタイトルに惹かれて買っただけだったが、三島思想の真骨頂にかなり衝撃を受けている。わたしは15歳からサブカルチャーに揉まれ、中高と左派社会科教師の授業を受け続けた結果、何の抵抗もなく左に傾いた女なので、衝撃が大きいのは当然だろう。

反革命宣言、文化防衛論を読みながら、こういうことね〜と。なるほどね〜と。腑に落ちている部分も多い。論理や文章の美しさゆえ、思想に共感せずとも引き込まれる節がある。最近、文化とは何かについて考えていたりしてたので、その点では確実に理解が深まっている。三島に傾倒してしまいそうだ、みたいな感覚はまるでないのだが、彼に対する興味は増大している。このまま菊と刀を読むのは間違い無いだろう。

それにしても、さいきんは過去を生きすぎている。もう少し未来や現在と結びつける訓練をしないと、社会や現実から見放されそうだ。


5限、文化人類学概論、最後の授業。完璧な終わり。本当に素晴らしかった。4年弱大学にいて、最も感動し、最も興味深い授業だったと言っても過言では無い。

教授は前嵩西一馬。彼はこの授業で、文化人類学を主に言語学的な観点から、理論的な指導をほとんど行使せずに、実践(彼はそれをトレーニングと呼ぶ)のみを用いて私たちに伝えた。彼は毎回の授業で伝えたいことが明確にあるように見えた。ただ、その核心に直接触れることなく、補助線をひきながら数本の映像作品(ドキュメンタリー作品を中心にアニメーションや日本のバラエティなど)を見せながら、私たちに核心へたどり着かせようとしていた。時に、到達が難しい場合は、理論を用いて説明することもあったが、ひたすら実践を通して、誘導していた印象を持つ。毎回授業の終わりに、いくつかの問いを提示して、それをリアクションペーパーに書かせた。そうして授業が完成していった。

最後の授業では、テストですと言って、何をさせるのかと思っていたら、驚くべきことに10問のリスニングテストをさせた。私たちが聞き取るものは、パンチの音、マシンガンの音など暴力の音。それをカタカナや英語で書かせた。それだけだった。

テストが終わると、彼は最後のメッセージを話し始めた。テストは、擬態語を我々がどのように文節化するかを測るためのものだったという。言葉において、意味と音は恣意的にくっついたものに過ぎないが、オノマトペは一致するケースである、この一致こそに文化の花が咲くのだと彼は述べた。

そのあとで、こう続けた。地球には46億年の歴史がある。その中で人類史はたった20万年である。さらに、文字を使い始めたのも3000年前。それまで人間は感性という本能で生きていた。教科書的な勉強を始め、知識を詰め込み、吐き出すだけの教育(学問)は、たかが200年の歴史である。素早く正解にたどり着くことを鍛えるのではなく、自らの感性を頼ることの方が重要である。感性には3万7000年の歴史がある、人間はずっとこれに頼って生きてきたのだから、もっと信頼するべきである。と。彼は膨大な知識を携えた上でこう最後に伝えたのだった。私はこれを聴いて、逆説的に知識の必要性を強く感じた。もちろん感性の尊重も救いでしかなかった。何もかも信じられない時期が続いていた(今もたまにそう)ので、このような助言は精神的支柱となりうる。

彼が大事にしてほしいと語る感性を試したのが最終テストであったと思うし、彼の授業は最後まで表現であり、創造的であると感じた。ここまで、ハイコンテクストな意思の疎通を授業を通して感じたことはこれまでなかったので、私は彼の最後の言葉を聞きながら、本当に感動し切っていた。その結果として、どのように授業が締められたかの記憶がない。最後のリアクションペーパーに感謝の気持ちを綴り、教室を後にした。

その後は、図書館で課題をやって、スタバでぼーっと文化人類学概論の余韻に浸って、帰宅。

前嵩西ロスすぎて、今、彼が2016年にsession22にゲストとして出た回をラジオクラウドで聴いている。言葉づかいがそのまんまで落ち着くし、丁寧だし、思慮深いし、大好きだ。ギャン。大好きなんかい!




2コメント

  • 1000 / 1000

  • miyu

    2022.07.26 23:42

    みずなちゃん…毎日更新でうざすぎるand不憫で駄文の塊でしかない日記を読んでいたのね………対面する時が恐怖だよ!(嘘) 文化人類学概論、やっぱりオフラインじゃないとダメなのね〜
  • lilycrowdy

    2022.07.26 20:28

    みゆたん久しぶり!私も一昨年文化人類学概論受けてたんだけどリモートということもあり睡眠導入BGMになってたからこれ読んでむっちゃ後悔してるなう!