179(8.20と21)

20日のこと
美術バイト10〜18
バイト中、FMラジオが流しっぱなしになっていて、リリーさんの「スナック ラジオ」が聞こえてきたんですが、よく放送できてるな、というレベルで、スリリングすぎた!!! あまりにも!!!!!きいてられないよ!!きいてられないを楽しむ、というやり方でしか聞けないよ!!!ほんとに。マスターであるリリーさんと、アルバイトの若いかわいい女の子3人がやってるスナック、みたいな設定なんだけど、まずここの構図でヤバいし、終始セクハラパワハラというかね、、、支配感…(苦笑) 女の子たち、のびのびと喋れてないのが、こちらの苦痛で苦痛で…まじ勘弁勘弁なんですけどー(cv.トンツカタン森本)

退勤して、まっすぐクリエイションギャラリーにいって、大貫さんのHIROSHIMAへ。あんまりキャプション読んでなくて、文脈も知らなくて書くんですけど、(危険すぎ!ここじゃなきゃやっちゃだめ!)、デザインで反戦なんて、限界があると思った。そんなこと言ったら、音楽にも限界があって、文学にも限界があって、アートにも限界がある。でも、やる、やり続ける姿勢ですよね、人の心を打つのは。打っても戦争は止められないと思っちゃう。感動と感性とか、人間の心を動かすことはできても、大きなシステムが向かっちゃったら、もう無理なんだろうなと。ん?なんで大きな話になった?ざっくり語るには危なすぎない?というか無駄すぎない????この文章。
日本橋丸善で、ソンタグの反解釈と、ラディカルな意思のスタイルズを買う。←菊地さんの新しいユニットのね。ソンタグは、9.11のとき反戦を唱え続けてたという文脈で大学の授業で学んだりしましたが、著作を読むのは初めて。感性から芸術評論をやるみたいな感じ……この文章が60.70年代に書かれたことを意識しながら読まないと、バグってくる。ソンタグの言ってることが今でも全然通用するので、というか通用しまくりなので、時間軸よくわからなくなっちゃう。ギャンギャンに読み進めます。!



21日のこと

国立ハンセン病資料館の生活のデザインへ行く。ついに!高校大学の心友、とーこちゃんを誘って!そしてなんとこの日はとーこちゃんが浴衣、わたしが羽織という、和装スタイルズ。
生活のデザイン、私の好きな人たちみんなゴリ押しだったので、期待値あがってましたが、それでもえぐかったですね。デザインってこうだよな、と思えたし、いらないものは取ればいいし、必要なところを十分に補うこと。特に靴とか。いずれも、形として満ち足りていて、美しさがあって、立派なデザインだしファッションだった。知覚障害の人に寄り添うからこそ、過剰に見えるけど、見落としていたことに気づける。電話のボタンも、ボタン掛けも。そして、彼らにとって自助こそが、幸福だったのかもしれないと思った。健常者のあたりまえを、補助具によってできるようになる。彼らだって、脳は健常だし、身体の一部は健常なわけで。
この展示忘れたくないな。撮影禁止だったから、きっと忘れないと思う。

清瀬駅戻って、ぐるぐるする。通りすがりの地元のおばあちゃんにわれわれの服装を褒められた。和服の人なんていないからね。素敵ね。と言われた。ボディタッチもたくさんされた。嬉しい。
サンリオのギフトショップ「ポッポ」を見つけた。いにしえのやつ。外観がもうえぐくて、これ絶滅危惧のやつだな〜と思って即入店。古いアイテムあるかと思ったら、そうでもなくて、割と新しい。入れ替わっている。それでも、古い品を探して、私が買ったのがキティVAPE。フマキラーの蚊取り器です。ファッションとしての使用を目的に。リアルY2K。現在に生産されたY2Kファッションは魅力に思わないけど、リアルY2K(実際に2000年代に発売されたアイテム)は、うきうきしちゃう。買ってすぐに身につけて歩いてたら、かき氷屋さんを発見。あずきまっちゃかき氷を食べて、磯部焼きを半分こした。

とーこちゃんは夜ご飯ままとレストランいくぽかたので、そのまま途中まで一緒に帰って解散。

この日は、夏らしいことをたくさんしたが、全くかけがえのないものではなくて、日常としか捉えようがなくて、最高だった。物語になんかならない。特別でないことがどれだけ素晴らしくて、心の休まることか。これまで、特別過剰摂取の2022をやってきたので、ここからは日常を生きる2022をやらないといけない。ほんとに。たまの特別がないとつまんないけど、心を休めるには、平凡な毎日を受け入れて、それに寄り添うことだ。
まあ、こんなこといっても、刺激を求めて、チャレンジしまくり、客観的事実としても精神的にも失敗するだろうがね〜それでいいさ、しななければ


0コメント

  • 1000 / 1000