170(8.5と6と7)
18:30ごろ駅に着く。いとこ(るなちゃん)は小学2年生。まだ赤ちゃんってかんじ。言葉を話す赤ちゃん。おばのいえにいって、ご飯を食べて、るなちゃんとずーっとあそぶ。ビンゴをしたあと、スイッチでマリオカートをした。とにかく疲れる。ちゃんとリアクションをして楽しませないと、という気持ちになる。東京絶望daysから抜け出して浜松に来てしまったので、ハイテンションのるなちゃんに合わせるのに一苦労だった。お風呂も一緒に入って、同じ布団でおばと3人で寝る。布団に入って、眠りにつくまで、おしゃべりするかんじ、久しぶりで新鮮だった。あれ、幸福な人しかできないよね。
たくさん愛されて快活に未来に向かって生きるるなちゃんをみているとしにたくなった。全く絶望から抜け出せていないようだ、東京から離れても関係ないね!
そういえばるなちゃん、コマとか万華鏡とか、あやとりとかで遊んでいて、昭和か!となる。幼稚園、小学生って、全然日本的な遊びが残っているし、それが主流なんだと思う。でも、そのさきに和歌とかがあるわけでもなく、いつしかテクノロジーに支えられた遊びへと変化していくよね。よくかんがえると、幼稚園、小学校の生活、教育現場ってテクノロジーからかなり離れていて、何十年と大きな変化がない世界のようにも思える。だから、まだあやとりやってるの!とか思っちゃうけど、それなりの理由があるわけだよなと。あやとり自体も素晴らしい遊びだし、オルタナティブ的なライバルがほとんど存在しないんだよね。
6日のこと
9時半起床。
やや山奥の祖父母の家にいく。ちなみにまあまあの金持ち。広い庭と広い駐車場と3階建ての一軒家と、かつて祖父が会社をやっていたときに使っていた事務所まである。
祖父母それぞれから就活はどうなんだと聞かれる。就職って、正社員になることってこんな全世代的に重要視されてることなんだと再認識する。私はテキトーに返答する。30分くらい滞在して、家を後にする。祖母が淹れてくれた静岡茶をのんだり、応接間にあるアップライトピアノを弾いたりした。
そのあとは、浜松駅近くの田町というややおしゃれエリアで古着を買ったり、本を買ったりする。かぎやビルという古ビルは、かなり進んでいるスポット。messyな店舗たちを、なんとかひとまとめにしようとしている。そもそもビルが古いために、ビルの引力でどんな色の店も、このビルの色になる。そんくらい強い。かぎやビルは。
時代舎というお気に入りの古本屋では、リリーフランキーのラジオがついていた。いつまでそんな飽和した色気を纏っていられるんだというほど、粋なしゃべりだった。この店は、ちくま文庫の岩波文庫の品揃えが素晴らしいのと、写真集など美術系のセレクトも良いのでだいすき。
夜ご飯は、しぬほど美味い鰻を出す加和奈へ。うなわさと、うな重を食べる。浜松にいるときは、いつも完璧な食事を取る。完璧な食事は、その料理の内容と環境もさることながら、一緒に食べる人がいて完成する。
おばの家へ帰って、少し眠った(1時間くらい)。わたしは不規則に寝る。デザインのレイアウト作業などを進めたあとで、本当に就寝した。
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